ハーグ条約 (1698年)
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ハーグ条約 | |
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通称・略称 | 第一次分割条約 |
署名 | 1698年10月11日 |
署名場所 | ハーグ |
締約国 | イングランド王国、ネーデルラント連邦共和国とフランス王国 |
主な内容 | スペインの王位継承 |
ハーグ条約(ハーグじょうやく、英語: Treaty of The Hague、オランダ語: Verdrag van Den Haag、フランス語: Traité de La Haye)、または第一次分割条約(だいいちじぶんかつじょうやく、英語: The First Partition Treaty、オランダ語: Eerste Partitieverdrag)は、1698年10月11日に締結された、イングランド王国、ネーデルラント連邦共和国とフランス王国の間の条約[1]。
内容
[編集]条約はスペイン王位の継承争いを解決する試みとして継承者にヨーゼフ・フェルディナント・レオポルト・フォン・バイエルンを推し、フランスのグラン・ドーファンがナポリ王国、シチリア王国、トスカーナ大公国を獲得、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の次男カール大公がミラノ公国を獲得するとした。スペイン領ネーデルラント、スペイン領東インド、ヌエバ・エスパーニャはヨーゼフ・フェルディナントが継承する[1]。
その後
[編集]しかし、ヨーゼフ・フェルディナントは1699年に死去、ハーグ条約が無効になった。紛争の解決は1700年のロンドン条約(第二次分割条約)で再び試みられたが、カール大公はイタリアがオーストリア領にならないので拒否した。
またスペイン王カルロス2世もスペイン帝国の分割を拒否し、遺言で帝国全体をグラン・ドーファンの次男アンジュー公フィリップに贈与した[1]。カルロス2世が死去すると、フランス王ルイ14世はハーグ条約を反故にしたが、カルロス2世の遺言も(実力行使で)挑戦され、1701年にはヨーロッパ全体を巻き込んだスペイン継承戦争が勃発した。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “The House Laws of the German Habsburgs”. 2017年6月18日閲覧。